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1日目:セントレアから天津経由で北京まで行く


1th_day

うす曇の天津。


 出発は万全のはずだった。今回の旅も妻の出張のマイレージで実現したものであり、大陸行きのノウハウは充分のはずである。なのでスケジューリングは妻にまかせっきりで、拙僧がしたことと言えばカメラ類をカメラバックに詰めたのと最寄り駅までのタクシーの予約をした程度だった。当日もスムーズに駅まで到着し、予定より1本早い列車でセントレアに向かった。順調なスタートである。ところがチェックインカウンターのスタッフの顔が曇る。なんと、既にカウンタは閉じていると言うのだ。1時間間違えた。あわててチェックインを済ませ、荷物と手荷物検査は搭乗員扱いのVIP扱い。親切なスタッフの誘導で飛行機の出発にはぎりぎり間に合ったのであった。流石日本のサービスである。これが中国側だったら怒鳴りあいになるだろう。わずかな時間で現地で迎えてくれる義理兄らのお土産を購入して搭乗口をくぐる。この程度で心を揺らしては大陸の旅は進まない。しかし、幸先が若干心配になる出来事であった。



およそ2.5時間のフライトを楽しむ。


天津空港に到着。スモッグ臭い北京に比べて空気は綺麗だ。

 セントレアと天津では何れも雲が多かったが、まずは順調なフライトであった。事前の情報では滑走路を歩く羽目になるという噂もあったが、ちゃんと機体はゲートに横付けされ入境と相成る。入境審査は審査官の対応を4段階で評価するようになっており、随分と中国の入境審査も様変わりしたものである。以前は、無愛想な審査官が乱暴にパスポートを放り投げ、大陸文化の洗礼を得たものであったが。格別変わったのは内国人の審査で非常にシンプルになったようであった。以前であれば菊の御紋の拙僧はスルーパス。怒り心頭の妻をのんびり待つのが常であったが妻の方が先に審査が終わった。こんな事は初めてである。中国政府も外貨を持ち込む内国人の国外入出に寛容になったのであろうな。天津空港から天津駅(站)まではタクシーで小一時間くらい。シャトルバスも出ているはずなのだが見つからない。あったのは北京行きのシャトルバスだったが北京のどこに着くのかも分からないし、中国の道路事情はイマイチ信用できない。列車なら切符さえ入手できれば運行は信用できる。それに、せっかくだから天津市街も散策したいのでタクシーを拾うことにした。早速妻から「日本語使わないで」サインが出たので寝たフリをする。幸いボッタクリタクシーを掴む事も無く60元代で天津駅に着く。荷物をバゲッジに預けて天津めぐりといきたいところだったが地図が手に入らなかった上に、以前拙僧が天津に来た時とは駅前がまるで様変わりしているわでどこへ行けばいいのか分からない。おまけにぼやぼやしているうちに15時(現地時間)を過ぎてしまって日も陰りだしたので切符を買って食品街のみを目指すことにした。ここで痛恨のトラブル発生。北京に向かう列車は日本で言う新幹線(京津高速鉄道:これは後で初めてその存在を知った)・特急・快速といろいろあるのだが、よりによって普通列車を買ってしまった。しかも「無座」、つまり席が無いと言うのである。その代わり10元(11元だったかも、日本円で140円位)と格安なのだが、欲しいのは快適である。これは完全に買い間違えたのだけれども、妻に任せた以上文句は言えない。文句があるなら自分で買えばよいのである。
 中国で街を散策しようと思ったらバスを活用するのが得策だ。しかし、我々はバスの路線図の掲載された地図も手に入らず、バス停も見つからなかった。なので日本で買った古く当てにならないガイドブックに申し訳程度に掲載された天津駅周辺地図に頼って食品街に向かった。といっても目の前の解放橋を渡って川沿いに二本目の橋まで歩いて街中に向かって歩く程度にしか分からない。凍てつく河の氷の隙間で釣りに興じている老同志を多く見かけたが釣れるのであろうか?釣れてもこの河の魚は食べたくないなあ。川沿いは大陸的なやっつけ仕事ではあるが整備されていた。しかし、降った雪が完全に凍っており歩くのは一苦労であった。豆満河で国境警備できるほどの装備で挑んでいるので寒さは感じない。しかし、分厚いコットンのオーバーコートと革靴が重く、今後を不安にさせる。
 道のりは平坦ではなかったが、幸い親切な(中国の物差しで)公安に道を教えてもらって食品街には着いた。天津では狗不理という大振りな小龍包が名産なのでそれを食べようと言う按配だ。ちょうど夕方で当たりも暗くなりお腹もすいてきた。ところが狗不理を扱うレストランが見つからない。チルド物を売っている店は幾つも有るのだけれども食べさせてくれる店が無いのだ。店員に聞いて有名チェーン店らしいレストランを紹介される。味はまあまあだったが妻の機嫌はすこぶる悪い。それは1人前60元弱と高額だったからである。60元もあれば小さなレストランならフルコースが食べられる。まあ、名物というのは食べたと言う事実が重要なのだからとなだめすかして駅に向かう。整備された河川敷には街灯が立っていたが案の定電気は点かず、大陸らしさを感じながら決して短くは無い道のりを引き返すのであった。



天津駅に到着。記念撮影などを行っていた。


切符購入は相変わらず闘いだ。



凍てつく氷の河沿いを歩く。
同志人民の方々が釣りに興じていたが、釣れるのか?


日も暮れてちと心配になる。


やっと中心街に着く。
帰宅時間にあたってしまった為、自転車軍団に行く手を阻まれる。


華北・東北名物のタンホール売り。スタンダードなサンザシの物を購入した。美味。

やっと見つけた食品街。







屋台の食事も興味が尽きないが・・・。


やっと見つけた狗不理のレストラン。


小龍包に似ている。高額だったが、まあ、名物とはそういうものである。

 大変なのは天津駅から北京駅までの列車移動である。地球の歩き方に出てくる様な数奇者ならいず知らず、我々夫婦はもう40代に傾きかけたいい歳なのだ。快適は金で買いたい。しかし、こうなってしまった以上文句を言っても仕方が無いのである。これは完全に拙僧らの準備不足であった。北京には北京駅やら北京西駅やら北京南駅やらいろいろあるのだけれども、どの駅に着くのかも分からなかった。当初は直通列車だと思っていたら普通列車だと気づいたのは乗ってからなのである。帰国時に初めて知ったのだが、北京オリンピックを前に北京南駅から専用天津駅まで30分で結ぶ新幹線「京津高速鉄道」が存在したのだ。その価格は50元半ば、高々800円そこそこである。知っていれば迷わずそれを利用したのだが、知らなかったのでどうにもならない。勿論、帰りはそれを利用した。北京オリンピックから2年も前のガイドブックは全く役に立たなくなっていたのだ。ともかく、車両の洗面台に腰をかけて2時間の旅に耐えたのである。考えてみれば2時間と言ったら西武秩父〜池袋間なのだから大げさに構えることはない。この程度で心を揺らしては大陸の旅は成り立たないのだ。
 着いたのは北京駅だった。困ったのは駅前ではタクシーが客を拾ってはいけないルールになっているらしく、白タク以外はタクシーを拾うことが出来なかった。これは徹底しているようで、駅から随分離れたところでもチャレンジしたのだけれども、タクシーは決して止まってはくれなかった。仕方なく駅まで戻って地下鉄を経由することにした。驚いたのは地下鉄で、2本しかなかった地下鉄がx本も増えていた。滞在先の義理兄宅にも最寄の地下鉄がありそうな雰囲気だったが情報も無いので従来の方法、つまりxx宮まで地下鉄で行ってそこからバスで北上することにした。行きは荷物を絞ったためさほど重くも無く。初日の元気さで21時半過ぎに義理兄宅に到着した。予定より2時間ほど遅くなっての到着だが拙僧的には予定範囲内であったな。
 夕食は待ってくれていたようで義理兄夫婦と一緒に頂く。牛のテールのスープとノビルやら香采やら様々種類のキムチ。それに豚の腸にご飯を詰めたスンデを頂いた。義理兄から北朝鮮産のトラの骨の酒とやらを頂いたが、これは効きそうな酒だった。貴重な滋養酒なのだそうだ。我が家は南に薄く北に濃い。深酒をして12時ごろ就寝。


こんな立派な大時計が天津駅前に建っていた。


大変な混雑の中、人民同志と出発を待つ。



大陸の列車。先頭は霞んで見えない。
直通列車の切符が欲しかったのだが・・・。


混雑する硬座車にゆられる。


北京駅に到着。



タクシーがつかまらず地下鉄に乗る。
切符はプリペイドカード式になっていた。
せっかく、裏面が路線図になっているのに、一部が隠れて見えず。


義理兄宅で食卓を囲む。


虎の骨の酒。

2日目:北京動物園へ続く。

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