パナソニック ipalm PV−DC3000について


ipalmPV-DC300

ルミックス以前のパナソニックの変な形のデジカメ。

☆ジャンク度☆
不具合なし
撮影可能


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 ライカ判換算で32〜64mmF2.9〜F4の光学2倍ズームレンズ。
 当時としては広角寄りの焦点域である。


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 「ipalm(アイパーム)」ブランドは後世に繋がらなかった。
 ぽっちゃりした女性が腰をふる様な妙なスタイリングが特徴。


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 十字キーの左右でズーミングする。大抵のカメラは上下でズーミングするのだが。


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 液晶ビュワーの見え具合は当時並み。


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 ちょっと特殊な操作系。


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 電源は単三型電池4本使用。
 当時は珍しいSDカードを使用。

 デジカメ大戦の割と初期からパナソニックは参戦していた。1997年からカードショットとかクールショットとかのブランドを展開していたが、一定のシェアを得たとは言えないようだ。デジカメが世に侵透するきっかけとなったカシオのQV−10に遅れること2年である。良くわからないのだが、この頃のパナソニックのデジカメは九州松下とか松下寿と注釈されており、パナソニックのブランドを冠しながらも本道ではなかったようだ。当時はパナソニックと松下とナショナルのブランドを使い分けていた。全てのブランドをパナソニックに統一したのは割と最近のことだ。本カメラも松下寿によるものである。それまでのパナソニックのデジカメは「クールショットU LK−RQ1」とか、妙なアルファベットと数字の組み合わせで統一していなかった。それを本カメラでは「ipalm PV−DC3000」と、それなりに整理した採番を与えていた。しかし、「ipalm」ブランドは後裔に繋がらず、本カメラの登場の翌年である2001年に「ルミックス」ブランドでDMC−F7が登場する。ライカブランドのレンズと浜アユのCM起用で、事実上パナソニックのデジカメ大戦の本格的な参戦となった。
              ☆              ☆
 本カメラの登場は2000年10月である。撮像素子は1.8型の300万画素級であり、当時としては上級機である。これに、当時としては広角に寄ったライカ判換算で32〜64mmF2.9〜F4の光学2倍ズームレンズを搭載する。特徴的なのは豊満な女性が腰を振ったような妙なスタイリングである。これをエルゴノミックデザインと評価する向きもあるようだが、ちょっと野暮であまりグットルッキンとは言えないな。後にクールなデザインで一石を投じるパナソニックだが、この頃はデザインに迷いが見れる。
 電源は単三型電池4本を使用し、記録媒体は登場間もないSDカードを採用する。当時としては、単三型電池4本を使用する割にはコンパクトにまとまってはいる。しかし、やはり旧世紀デジカメである。起動はセレクトレバーにて行うが、電源投入から撮影可能状態に至るまで10秒弱かかる。また、レリーズボタンを押下してから実際に画像の記録が始まるまで2秒近いデュレイが生じ、とても近代の戦闘に堪えない。更に、どういう訳かピンボケの画像がちょいちょい混ざる。液晶ビュワーは晴天下では見え辛く、ピントが合っているかどうかはわからない。露出もほぼ安定しているが、稀に外すことがある。この辺は旧世紀のデジカメとしても安定感を欠いていると言えよう。
              ☆              ☆
 基本的なデザインはフジフィルムのファインピクス700と同系統の縦型スタイルである。肝心のエルゴノミックデザインによるホールディングは良好ではあるが、経年劣化でべとべとするのが難点だ。もっとも九州寿だって、2012年まで使うとは想定していなかっただろうな。ちゃんとフォーカスが合っていれば落ち着いた発色で良好な画像を撮影する。
 ところで、先日、日経新聞で三洋電気がデジカメ事業から撤収する旨の記事を掲載していた。本カメラはどうか知らないが、旧世紀から新世紀初頭にかけて幅広いデジカメメーカーのカメラを三洋電気が供給していた。その三洋電気がパナソニックに吸収され、デジカメ事業から撤退(事実上の整理だろう)するのは時代の経過を感じるな。

   では、撮影結果(三河散歩編)を見て下さい。

(了:2012/11/19)

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