オリンパス E−100RSについて


E-100RS
一眼デジカメの可能性を先駆けた早すぎた革命児。

☆ジャンク度☆
無し
撮影可能


E-100RS E-100RS
 手振れ補正付き光学10倍ズームレンズに15コマ/秒の高速連射を可能としたスーパーモデル。
 価格も17万円弱と破格。

E-100RS
 インナーフォーカス・インナーズームの採用も画期的である。

E-100RS
 オリンパスらしくESP測光モードを搭載。


E-100RS E-100RS
 勿論、マルチモードAEを搭載。更にシーンモード(プログラム)も搭載する。

E-100RS E-100RS
 撮影はEVFと背面液晶ビュワーの双方で行える。


E-100RS
 記録媒体はスマートメディアとコンパクトフラッシュのデュアルスロット。
 スマートメディア陣営のオリンパスも、秒間15コマの撮影には不安を覚えたのだろう。
 画像は無いが、電源は単三型電池4本である。

 時は旧世紀末。生き残ったカメラ人民が渇望していたのはレンズ交換式一眼レフデジカメだった。画質面では300万画素級ならコンパクトデジカメでもA4サイズまで鑑賞に堪えるとパブリシティは嘯いていたが、あんな広告費をもらっている連中の言うことは信じられない。大体、フォーカシングは遅いし記録に1秒もかかるようなカメラは使い物にならないな。何とかコンシューマーに手が届きそうな価格帯の一眼レフデジカメは、7月に(意外なことに)フジフィルムがファインピクスS1Proで先陣を切って、11月にはキヤノンがEOS D30が控えていたが、何しろまともな稼働状態にするにはレンズ無しで40万円くらいする代物である。当時、排ガス規制で消滅が決まっていた2st250ccクラスの程度がイイ中古の単車が買える価格帯である。そんな金があったらガンマかCRMを買った方がいいに決まってる。それで、当面は一眼レフデジカメに届かないアッパー層のニーズが有るとオリンパスは考えた。
 オリンパスはOM三桁シリーズの大失敗を原因としてレンズ交換式カメラから事実上撤退していた。MF一眼レフのOM一桁シリーズとOM2000が残っていたが、AFコンパクトカメラからのステップアップ組に対してMF一眼レフしか選択肢を残していないというのは、積極的な販売戦略とは言えない。もっとも、AF一眼レフを全く作っていなかったわけではない。Lシリーズというレンズ非交換式の一眼レフカメラがあった。これは見かけからしてL字型のパッケージングで、レンズ交換式カメラとコンパクトカメラの間を埋める、いわゆるブリッジカメラであった。この種の煮え切らない態度のカメラは日本では人気が薄かったが、海外では比較的流通したようである。実際、日本だって標準ズーム付けっぱなしの方々は多かった。シグマのWズームを付けて格安で店頭を賑わすようになったのは、拙僧の認識では90年代からだ。
 ここで明確化しなくてはならないのは、デジ戦争の初期から参加しているオリンパスは、世紀末を跨いで数年までは黄金時代を築いていた。画素数で言うとコアのモデルが200〜300万画素級の時代である。しかし、レンズ交換式デジタル一眼レフの発売には慎重であった。巷の説によればレンズ交換時に生じる、撮像素子に付着するゴミ問題の解決を完璧にするためとされていた。ところが、2011年11月の現在、オリンパスは本業が好調にもかかわらず、バブル期の巨額の損失を補填する為のブラックな資金運用が露見し、とうとう銘柄が監理ポストに移ってしまった。もしかしたら、旧世紀末にも一眼レフデジカメに必須な交換レンズやアクセサリーなど拡張システムの開発・製造に資金を回せなかったのかもしれないな。オリンパスがレンズ交換型デジタル一眼レフを時期尚早とし、当面のユーザーの確保の為に送り出したのが、3つのモデルだ。登場順で言うとC−2100UZ、E−10、本カメラのE−100RSである。C−2100UZはヒット作となったC−2000系のボディにキヤノン製とされる手振れ補正機構付き光学10倍ズームレンズを搭載したモデルである。これは想定されるアッパー層にも比較的廉価にデジカメならではの恩恵をあてる目的が有り、3つのモデルの中では常識的なパッケージングになっている。E−10は当時としてはハイクラスの400万画素級撮像素子に明るいライカ判換算35〜140mmF2〜2.4を組み合わせたミラー固定の一眼レフデジカメである。そして、本カメラは撮像素子は150万画素級と抑え目ながらも、手振れ補正機構付き光学10倍ズームレンズを搭載し、15コマ/秒の高速連射を可能とした異色のモデルである。
 3つの機種に共通する、オリンパスが想定したモデリングは定価ベースで20万円以下で撮影可能な一眼レフの使い勝手に近いデジカメであろう。フィルム時代であれば、ミドル層からプレアッパー層のアマチュアが満足なセットを手に入れるのに十分な価格帯である。何しろ、動く被写体はデジカメでは撮影できないと言われた時代であるから、使い勝手を一眼レフカメラに近づけ、明るい高倍率ズームレンズや高速連射といったフィルムカメラでは難しい機能を付加すれば、アッパー層も納得して13〜20万円くらいは出してくれるとオリンパスは踏んだ。確かに、撮像素子へのゴミ付着は問題であった。何しろ、イチイチサービスセンターに送らねば解決できなかったのだ。しかし、フジフィルムもキヤノンも、ちょっと遅れてニコンも不完全な対策で一眼レフデジカメを送り出し、いわゆるイノベータ―の方々はボーナス払いで意欲的に確保に走った。ユーザレベルで埃の除去が出来ない使い勝手の悪さも、当時、まだパソコン通信だったネット上で取りだたされていたが、その語尾はどこか嬉しそうにも読めた。なんたってボディだけで’96RMX250Sが買える投資をしたのだから、何が起こっても嬉しいだろう。レンズは固定でも、高性能の明るい光学4倍ズームレンズをオフセットして20万円を切る価格帯なら売れると踏んだオリンパスだが、的が外れたと言っていいだろう。多分、ユーザーに近いオリンパスの担当者もニーズのズレは分かっていたが、すぐさまモデリングの修正には至らなかった。その判断には前述の十分な交換レンズやアクセサリーを用意できない台所事情も絡んでいたのだろう。レンズ交換式一眼レフデジカメと言っても、EOS D30なんてAPSサイズとはいえ325万画素級の撮像素子なのである。E−10に対するパブリシティやライターの方々の評判は上々であった。が、やはり折角だからレンズ交換ができればなあと本音も漏れる。とはいえ、Fマウントを採用したフジフィルムやキヤノンと違って、オリンパスには既存の交換式AFレンズが無いのだ。素人目に見てもカメラ雑誌の寸評は盛り気味に思えたが、案外、オリンパスの台所事情の危うさを感じていた方々のオリンパスへのエールで有ったかもしれない。E−10を実際に手に取るとがっしりとした作りこみでオリンパスの意気込みを感じるし、ボディマスを占める大型のレンズも只者で無い雰囲気を出していた。ブリッジカメラでのノウハウが豊富なオリンパスらしい完成度の高さが感じることが出来る。オリンパスの広告では盛んにプロユースに耐えるとアピールしていだが、35〜140mmのレンズ固定だと、証明写真や中古車情報誌レベルの捨てカット以外には使い勝手が悪い。そもそも、ブリッジカメラに響かない日本では、素人でも「これは本格的レンズ交換式一眼レフを用意するまでのつなぎだな」とバレてしまい、市場受けはパッとしなかった。翌年には撮像素子を500万画素級に換装したE−20が登場する。これで広角側が28mmまでカバーすれば、もう少し注目されたとも思えるのだが。ミノルタのディマージュ7は、それで一定のニーズをつかんだわけだし。
 C−2100UZは定価ベースだと3つのモデルで一番安い12.8万円である。ちなみにE−10が19.8万円でE−100RSが15.8万円だ。EVFに手振れ補正付き高倍率ズームレンズを組み合わせるコンセプトの走りである。レンズはキヤノン製とされたが、実際にこのレンズをキヤノンが自社ブランドのカメラに搭載するのは数か月先になる。世紀末の2000年は、キヤノンとしては初めての戦略的デジカメであるIXYデジタルが登場した年であり、眠れる巨人は歩き始めたばかりであった。20万クラスの価格帯では手が出ない一眼レフ待望ニーズにEVFを用意し、魅力的な高倍率ズームの組み合わせ、価格は抑えた。抑えたと言っても10万円を超えるのだから、簡単に手が出る代物ではないが、ライカ判換算で38〜380mm2.8〜F3.5のレンズに手振れ補正が付きというのは、フィルムカメラだったらおいそれと手のでない組み合わせである。EVFも視野率100%ほ誇っていた。今でいうデジ一眼の原型が見れる。
 同じようなコンセプトに見えるがE−100RSは異端児である。撮像素子は150万画素と冴え気味だが、泣く子も黙る15コマ/秒の連射機能と、クオリティの高い動画を武器にした。連射機能は新世紀になっても数年は記録が破られることがなかった。伝統的にオリンパスはデジカメにはCから始まる形式名を与えていたが、プロユースを掲げるE−10と同じEから始まる形式名をあていてたのにも格の違いを見せつける。
 オリンパスの戦略としては、パワーユーザ向けにE−10を頂点とし、比較的手ごろな価格帯で魅力的な手ブレ補正機構付き高倍率ズームレンズ搭載機のC−2100UZで上昇志向のミドルユーザーに応え、更に特殊な連射機能のE−100RSで新たなニーズを開発し、あわよくば本当にプロに使ってほしかったのだろう。しかし、E−10はタスキに短く、C−2100UZもちょっと高すぎた。E−100RSに至っては更に高く関心を惹くユーザーはいても、ミドルクラスでも300万画素級が主流になりつつある時代に150万画素級のカメラに投資するのは勇気を必要とした。結果的に、熱心にネットニュースの発信源になるイノベータ―や敬虔なオリンパスフォロワーの評価は高くても、運動会ニーズのパパ・ママは響かなかったようである。10万円もあれば、同じ高倍率ズームレンズのムービーカメラが買えるのだ。
                 ☆              ☆
 改めて本カメラのパーソナルデータを紹介しよう。撮像素子は1/2型の150万画素級である。これにライカ判換算で38〜380F2.8〜3.5の手振れ補正機構付き光学10倍ズームレンズを組み合わせる。どうも、本体は三洋のSX560のようだ。当時、三洋はプリミティブな構成のボディと単焦点レンズの組み合わせで高レスポンスを実現する、爆速デジカメ・動画デジカメというジャンルで評価されていた。SX560は単焦点レンズながらも本カメラと同様15コマ/秒の高速連射を可能とした。三洋ファンの間では長いこと光学ズームレンズを待望していたが、くしくもオリンパスブランドで叶えられる。レンズはキヤノン製だというから、MGBのシャシーにランドローバーのV8を積んで、ローバージャパンで発売したようなものなのだろう。SX560の電源は単三型電池2本で確保したが、本カメラはレンズの駆動にパワー必要なのか単三型電池4本を使用する。これは35万画素級時代からオリンパスのスタンダードである。
 実際に手に取ってみよう。ルックスはロミュランのバードオブプレイめいた近未来スタイルである。EVFと高倍率ズームレンズの組み合わせはデジカメならではの新たなニーズの開拓なのだから、それ相応のルックスが必要だろう。EVFを売りにするパッケージングはフジフィルムがファインピクス4900Zで先駆け、ネオ一眼を称していた。ルックスは一見、C−2100UZと同じに見えるが、本カメラはブラックで、表面がシグマのレンズに似た樹脂と思われるマット地になって高級感がある。この種の樹脂系のマット仕上げは年式が経つとネトネトに溶けて無残になるのだが、本カメラは傷は多い物の形状を保っている。C−2000系のボディもL字型と称されるが、本カメラのようにレンズが沈胴せず、存在感を放っている方がL字型一眼レフ(風)らしい。L字型一眼レフスタイルはC−1400/1000Lで前例があるが、あちらは曲線思考の有機的なスタイリングだったのに対し、エッジが効いてぐっとシャープである。鏡筒が数段階を経て先の方で野太くなっているのは男性的には魅かれるポイントである。黒いし。外観で目を引くのは鏡筒の上にテーブルみたいに乗った平たいフラッシュ格納部である。こいつは「OLYMPUS」のロゴの後方でぱかっと開いてフラッシュが露出する。これはリトラクタブルライトに魅かれたスーパーカー世代も、高いところに光源を置いたロケットカウル・ピヨピヨファンの方にも響くであろう。
 単三型電池4本を格納するグリップの形状はマッスが集中し視覚的にも効果的である。グリップ上面のモードダイヤルの基部に電源スイッチレバーを置く。この素材がボタン類と同じ物のようなのだが、質感がイマイチである。同世代のデジカメと比べて特に劣るものではないのだが、全体的な質感が高いので残念である。この電源スイッチレバーは片腕親指のみでONが可能だが、OFFの時はホールディングの都合上両腕が必須となる。電源OFFよりONの方が遥かに迅速さは重要だから、これは構わないだろう。モードダイヤル前方にレリーズボタンを置き、同軸としてズーミングレバーを配置する。ズーミングレバーは人差し指で操作し、節度は適切である。背面に目を移すとEVF用の大型のラバーアイキャップが目立つ。EVFはスパルタンなニューテクノロジーなのだからアピールする必要がある。無論、視度調節が可能だ。
 電源ONから撮影可能状態まで7秒強かかる。ベースとなったSX560は3秒ほどで(液晶ビュワー非表示なら1秒ほどで)撮影可能になったからレンズのスタンバイに時間が掛かるのだろう。沈胴・伸長しないオフセットしたレンズは視覚的にも強度がありそうで、前述の通り野太く魅力的だ。電源ON時にはEVFが有効になっている。勿論、背面の液晶ビュワーに切り替えて撮影もできる。本カメラの望遠側の活用する作戦目的からすれば、EVFを積極的に活用するのは吉だろう。再生時には液晶ビュワーに切り替えるのも自然な使い勝手である。ただ、設定モードで「設定クリア」をオフにすればどちらを優先するのか覚えていてくれてもイイ気がする。この階層メニュー下の「設定クリア」という項目を拙僧は知らなくて、電源OFF時に一切の諸設定を忘れてしまい、当初は困惑した。それに、「設定クリア」をオフにしても覚えてくれない設定項目が結構ある。ファインダーの切り替えは兎も角、肝心の連射モードも7.5コマ/秒に戻ってしまうのは如何なものか。本カメラの登場時には記録媒体も高価でチープだったから、無駄なカットの記録をオリンパスは抑えたかったのかもしれないが、15コマ/秒こそ本カメラの最大の特徴なのだから、イチイチ忘れてしまうのは愉快ではない。それでも、オリンパスのカメラは画像クオリティすら覚えていないカメラが多いから、マシではある。どうしても不可思議なのは電源レバーが奥からOFF、ON、リセットとなっており、簡単に諸設定のリセットが可能と言うか、不用意にリセットされてしまい、とても不愉快だ。本音は、オリンパスは吊るしの設定で使ってほしいのだろう。どうも、しばしばオリンパスというメーカーは作り手の理想を押し付ける傾向がある。
 AFのフォーカシングは時代を考慮すれば満足なものである。EVFのピッチは荒いが、黎明期のEVFだと考慮すれば健闘しているだろう。MFモードを搭載し、中央部が自動的に拡大されて、十字キーの上下でフォーカシングを行う。特にEVFを使用した状態だと使い勝手はイマイチだが、もっと酷いカメラは沢山ある。後年のキヤノンのパワーショットSxISProのように拡大像が中央の一部分に小さく表示するのでなく、画面全体を使用するので意外と使い物になる。勿論、露出モードはプログラムAE、シャッター速度AE、絞り優先AE、マニアル、それにシーンプログラム(モード)を搭載する。シーンプログラムは「ポートレイト」「スポーツ」「夜景」「記念撮影」の4つだが、十分だろう。絞りは多段階で変化するので虹彩絞りを採用していると思われる。十字キーの左右に露出補正を割り当てているのは、露出補正を滅多に使わない拙僧には不要に設定されるので気持ちよくないが、使用頻度の高い方なら嬉しいだろう。
 肝心の手ブレ補正は効果的に効いているようだ。最短撮影距離はマクロモードで広角側で0.1m、望遠側で1.0mで望遠側の寄りが欲しいところ。ただ、被写界深度がかなり薄くなるので、背景をぼかした撮影も可能である。この場合も手振れ補正機構が効果的である。
                 ☆              ☆
 拙僧は使わなかったのでレポートはしないが、本カメラにはプレキャプチャーを搭載し、レリーズ直前の数コマを記録する。瞬間に強い本カメラを一層際立てる。15コマ/秒の高速連射は他のデジカメもさることながら、フィルム一眼レフでも稀な格別な機能だ。しかし、150万画素級で定価ベースで17万円弱というのは、その価値を正確に把握していた方々でも、おいそれと手の出るものではなかった。末期にはジャパネットたかたで3万円台で売っていたという噂もある。オリンパスが高倍率ズーム機でシェアを確保するのは、思い切って手ブレ補正も高速連射も捨てて、シンプルに廉価ボディに高倍率ズームレンズを組み合わせたC−700UZまで先送りになる。結局、本カメラの直接的な後裔機は生まれず、特殊なニーズは7年後にカシオのエクスリムEX−F1の登場で再度注目されるものの、これも一代限りで終わったようだ。
 記録媒体もコンパクトフラッシュが使えるので近代の戦闘にも耐える。惜しいのは操作系にオリンパスらしい押し付けが見られて愉快でない点だ。もっとも、最も本質的な問題は、本カメラの特性に合った被写体や撮影シーンに恵まれず、結局、大相撲くらいしか撮影していない拙僧の行動範囲の貧弱さである。

   では、撮影結果(大相撲名古屋場所編)を見ていただきたい。

(了:2011/11/12)

クラデジカメ系列メニューへ戻る 「意してプラカメ拾う者なし」へ戻る

inserted by FC2 system