ミノルタ ディマージュF100 について


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あまりメジャーではないが完成度の高いカメラ

☆ジャンク度☆
不具合無し
撮影可能


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 ミノルタGTブランドの光学3倍ズームレンズを搭載。
 時代的にも光学ファインダーを重視している。


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 左端にレンズをオフセットしたスタイリングは、デジカメにはオーソドックスである。


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 モードセレクトダイヤルがフロントパネルにバルジを形成しているのは、ミノルタのフィルム一眼レフやCLEを髣髴するチャームポイント。


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 表面の仕上げも高級感があり、美しい。


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 モノクロ液晶パネルを搭載し、光学ファインダーによる撮影も不自由しない。


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 大きなカーソルキーで操作性も良好。



 「かつて彼らはカメラを作っていた!」と感嘆の思いを馳せるのがミノルタである。そのスタートは古く、元になった日独写真機商店は本邦で2番目に古い光学機器メーカーとされている。尚、最も古い光学機器メーカーはコニカであり、双方が合併してコニカミノルタとして新スタートを切ったモノの、数年後には民生カメラ部門から撤退してしまったのは記憶に新しい。拙僧の人生にミノルタが登場するのは何と言っても宮崎美子のX−7である。いや、正確に言えば「志村けんの」という形容が正しいだろう。なんといっても拙僧が幼稚園児か小学校低学年の頃だから、豊満なボディの素晴らしさを甘受することはできなかった。拙僧の画像デバイスで認識できたのはミーとケイ、それにコメットさんくらいである。そうだ、ほんのり郁恵ちゃんの記憶があるから、当時から拙僧は「どちらかというとぽっちゃり萌え」だったのかもしれないな。熱さで言えば、沢田研二の斜めに帽子をかぶる姿をみて、世の中にこんなにカッコいいファッションがあるのかと痺れていた。世良正則にも痺れていたが、そんな事を当時の埼玉の寒村で口走れば、ちょっと支障があって言えないような差別用語で罵られ、村八分になってしまうので言うことが出来なかった。無知と貧困は罪である。
 そんな拙僧がカメラ・写真趣味に目覚めたのは20代になってからだから、ミノルタの栄光はリアルには知らない。ミノルタの栄光といえば幾つも挙げることが出来るだろうが、掻い摘んでみると、フレンドシップ7によるハイマチックの採用、名誉あるライカとの提携、αショックであろうか。ミノルタの成功は「良い物を作れば必ず評価される(売れる)」という牧歌的な高度成長とともに歩んできたと言える。だからこそ、ハウネルの言いがかりのような提訴には、誠実に自分達の努力の積み重ねの結果を説けば、裁判官にも伝わると考えていた節がある。結果的にミノルタは大敗北するのだが、別にミノルタだけが暢気に構えていたわけではない。光学機器メーカーに限らず、アメリカを市場とする全ての日本の製造業にとって、ミノルタの敗北はショックだった。以降、日本企業もショーめいた訴訟戦術、知的財産の管理などの重要性を認識するに至った。ハウネルとの敗北で、失った賠償金は、それまでのαシステムによる利益の総額に迫るものだったとも言われる。以降のミノルタは、AF一眼レフでの技術・シェアのアドバンテージも徐々に失い、単発では評価された製品もあったが、持続力のあるヒットに恵まれたと言えない。思うに、決定的に不味かったのはAPSへの対応だった。ミノルタは本気でAPSに賭けていた。登場した一眼レフのベクティスSシリーズは生活防水を備え、オプションのプロテクターも用意して、ある程度のへビ―ユースに耐える特徴を持っていた。恐らくレジャーをメインだーゲットにしていたのだろう。登場した1996年はバブルの残り香も麗しく、若者はスキーにビーチに忙しかった。真夏の船橋にスキーゲレンデが登場したくらいである。そういう場所に簡易なものとはいえ、防水機能を付けた一眼レフは商売になると踏んだのだろう。しかし、そのニーズに侵透することもなく、APSは沈んでしまう。いや、APSが全ての海域で沈んだわけではない。スキーだのビーチだのにはAPSフィルムの詰まった「潜るんです」が大量に投入されていた。標準ズームレンズ付きで定価ベース8万円もするカメラを、危なっかしいところに持っていくニーズは少なかったのである。更に致命的だったのはマウントを一新したことだ。ニコンにしろキヤノンにしろ、APS一眼レフカメラは開発したが、既存のライカ判一眼レフカメラ用のレンズを使うことが出来た。APS一眼レフカメラ用のレンズはライカ判一眼レフカメラには使えなかったが、初めて買う一眼レフカメラがAPSで、サブ機でライカ判一眼レフを買うというのはレアなニーズだろうから問題は無い。ミノルタからすれば、防水機能を実現するためにはマウントの一新が必須と思ったのだろうが、フィルム時代はカメラもレンズも高かったから、容易に二系列のマウントを保持するのは難しかった。生活防水のニーズもあっただろうが、既にαマウントの資産を持ったユーザーを全て捨ててしまうのは軍配違いとしか思えない。ミノルタはαマウントの時にMFのMC/MDマウントを捨て、その時には成功したから甘い汁の味を捨てきれなかったのだろう。
 この見込み違いによる失敗が影響したのか、デジカメへの参入も遅れてしまう。1997年にミノルタ初となるデジカメのディマージュVを投入するが、当時のデジカメとしては稀だった光学ズームレンズを搭載し、画質も美しかったのだが、既に3Vのスマートメディアが主流だったのにもかかわらず、5Vのスマートメディアしか対応せず、市場は混乱した。こういう点でもミノルタのロードマップ設計の甘さが散見できる。回転するレンズ+撮像素子ユニットを取り外すことがが可能で、遠隔撮影もできるなど新機軸を盛り込んでいた。1年間のブランクの後、1998年末に登場したのがディマージュEXである。これは回転レンズはやめたが、レンズ+撮像素子ユニットの脱着は可能で、実際に当時は珍しいライカ判換算28mmの広角レンズユニットを搭載するモデルも登場した。現在のリコーのGXRを髣髴させるコンセプトである。しかし、当時は今以上に技術的な進歩が速く、共通のボディを残すメリットは成立しなかったのである。その後も、散発的な戦闘を継続していたが、商業的な成功への橋頭堡を築くことは出来なかった。ミノルタのデジカメが正当に評価を受けるのは21世紀を跨いだディマージュ7を待たなければならない。当時のパワーユーザが待ち望んでいたライカ判換算28mmをカバーする「高性能ズームレンズ」を搭載し、一眼レフ風の使い物になるEVFの組み合わせは広く支持を受けた。こういう一眼レフカメラの代用品が評価された背景には、2001年はニコンはD1X/H、キヤノンはEOS1Dの時代であり、そこそこのアドバンストアマチュアでもデジタル一眼レフを確保するのは難しい程、高額だったのだ。ここ一発の気合のヌードモデル撮影会で、EOSのストロボが使えると言う理由でパワーショットG2で我慢するのも笑えない時代だった。ミノルタ伝統の「7」の称号を冠した渾身の一撃が効果を得たのに、ミノルタはほっと胸を撫で下ろしただろう。しかし、オーソドックスなスタイリングの普及・コアクラスのジャンルでは、相変わらず不振が続いていた。そんなミノルタのコンパクトデジカメに注目が集まったのは、2002年2月に投入した屈曲光学系のディマージュXである。本カメラはそのディマージュXの2か月後にディマージュ7iと同時に登場している。
 本カメラの登場時を振り返ってみよう。ニコンは2001年12月にクールピクス5000を出している。これはメガコンパクトデジカメとでも表現するのが適切な大柄な高級カメラで、特徴は当時はハイクラスであった大型の500万画素級撮像素子と高性能のライカ判換算28mmのズームレンズの搭載である。電源には2CR5も使用できるが、基本的には専用電池である。翌年2月にはコンパクトと回転レンズを両立させようとしたクールピクス2500を出し、6月にはクールピクス5000と同じ撮像素子に高倍率ズームレンズを組み合わせたクールピクス5700を投入する一方、単三電池4本使用の普及200万画素級デジカメのクールピクス2000も登場している。400万画素級の回転レンズ機のクールピクス4500も出しているが、当時のニコンはハイエンドとロワークラスのラインナップのバランスが悪く、売れ筋で利ザヤが稼げるようなオーソドックスなモデルに欠けている。キヤノンはどうかというと、売れ筋はIXYデジタル200a/300aであり、普及層には単三型電池4本使用のパワーショットA30/40を投入している。何れも前年に登場したモデルのマイナーチェンジであり、コンスタントに売れていたのだろうが、革新的な求心力には欠けていると言わざるを得ない。IXYデジタル300aなど、形式名では300万画素級なのかと思ってしまうが、実際には200万画素級モデルであり、基本的には200aと同様、2000年に登場した初代IXYデジタルの改良型でしかない。パナソニックは参戦まじかで決定打に欠けており、ミドルクラスで気を吐いていたのはソニーのサイバーショットPシリーズ位である。当時のサイバーショットPのシリーズは130万画素級から410万画素級まで幅広く、シリーズ全体では四号戦車のように派生型が生まれていたが、コアモデルは専用電池で単三型電池が使用できるモデルは廉価に限っていた。この戦線の隙間をミノルタは狙っていたのだろう。本カメラはライバルとクラスに差を付ける400万画素級撮像素子を搭載するにも拘わらず、ボディサイズはコンパクトかつ軽量、しかも単三型電池2本で駆動するプレミアムとパフォーマンスを両立したモデルだったのである。
                ☆           ☆
 本カメラを手に取って眺めてみよう。外装は公式アナウンスが見つからなかったが、まず金属製であろう。手に取るとひんやりすると共に、きめ細かな梨地加工が美しい。これは定価ベース8.8万円の高級コンパクトデジカメなのだ。パッケージングはレンズが左にオフセットしたデジカメ時代の物である。これは、ボディ容量に占めるバッテリーの処理の都合上致し方ないのかもしれないが、ソニーのサイバーショットPシリーズとの類似点は多い。しかし、どちらかと言うと女性的な印象を持つサイバーショットPシリーズに比べ、本カメラは幾分無骨で男性的な雰囲気を醸し出している。ボディ上部の大型モードセレクタダイヤルの粗削りなフィニッシュラインからも、更に力強い印象を受ける。また、モノクロの液晶パネルを搭載し、撮影に必要な大抵の情報を表示するので、液晶ビュワーを非表示にし、光学ファインダーによる撮影にも不便が無い。レンズはライカ判換算で38〜114mmF2.8〜4.7と常識的な光学3倍ズームレンズであるが、鏡筒に赤く刻まれた「GT」が誇らしい。恐らくリコーの「GR」やコンタックスの「T*」のようなプレミアムな意味を持っているのだろうが、ちょっと調べても良くわからなかった。
 ボディ背面に目を移そう。十分な大きさのセンター付き十字カーソルキーが目を引く。撮影時には十字キーの上下でズーミング、左右で露出値などの諸設定を行う。フラッシュモードやマクロモードなど、基本的には一機能一ボタンのポリシーを保っており、特別マニアルを読まなくても撮影に困らない。階層メニューもカーソルキーの節度がいいので不満は少ない。「選択」を十字カーソルキーで行い「決定」をセンターキーで行う一過性を保っている。光学ファインダーに5種類のアイコンと「フルオート・シーンセレクター」の文言を印刷したステッカーが張り付けてある。このアイコンはモノクロ液晶パネルにも表示するのだが、これはカメラが被写体を判断して、適切なシーンモードを自動的に選択する機能である。本カメラを紹介した媒体系のコンテンツでも有効な特徴として、この「フルオート・シーンセレクター」を挙げているのだが、ペンタックスMZ−7の「光るピクチャーモード」と同様なもので、拙僧は真面目に使っていない。カメラが勝手に判断して露出や画角を決めるというのはミノルタの考えそうなことである。本カメラは、そんなつまらない機能に頼らなくても、近代的な戦闘に耐える充分な基本性能を持っている。
 モードセレクトダイヤルの回転で電源を起動する。撮影可能に至るまで4秒弱というのは2002年上半期のカメラとしては良い出来であろう。レリーズ後のタイムラグも抑え気味で、レスポンスは良い。5点AFは素早く正確。本カメラの特徴の一つが、被写体を測距点が追尾する「動体追尾AF」なのだが、今回はそういう被写体を相手にしなかったので、精度は不明である。しかし、他の機能の出来のレベルが高いので、使えそうなものだ。AEも正確で的確であり、感心したのは地下鉄構内といった被写体が暗い場合でも適切な露出地をはじき出すので、手振れの少ない画像が撮れたことだ。撮影データを見るとISO感度をゲインアップしてシャッター速度を稼いでいる。そのさじ加減が適切なので、不安の少ない撮影が可能で、近代の戦闘にも遜色がない。2年以上後に登場したクールピクス5600がどうにもならないのに比べると、実にクレバーである。最短撮影距離が20cmなのは抑え気味だが、細い枝先の梅のつぼみもスムーズに合焦するのが小気味よく、全く不満は感じない。2004年登場のモデルでも、数値上は寄れてもAFが全くあてにならないカメラは多数存在する。
 モードセレクトダイヤルには「オート撮影モード」「マニアル撮影モード」「再生モード」「ムービー撮影モード」「音声記録モード」「セットアップ」を用意する。基本的には「オート撮影モード」がフルオート撮影、「マニアル撮影モード」がフラッシュモードなどを覚えてくれると使い分ければイイだろう。本カメラは仕様的には同時期に登場したサイバーショットP9に近い。大きな違いはサイバーショットP9は専用電池なのと、基本的に露出はフルオートのみなのに対し、本カメラはマルチモードAEを搭載しているのだ。つまり、「露出をコントロールした本格的な撮影」が可能なのである。絞り優先AEも開放とNDフィルターをかました2段階といった簡易な物ではなく、F2.8〜F8までと限定的ながら多段階に設定可能である。また、MFモードも用意しており(伝統的にサイバーショットPシリーズもMFモードは搭載している)、画面右端に表示したフォーカスインディケーターを参考にフォーカシングが可能である。中央部が拡大して精密なフォーカシングに寄与するというようなアシスト機能は無いのだが、MFモードだとフォーカスが固定するので、レリーズ後のタイムタグが無視できるほど軽減する。これは辻斬りのようなスナップ撮影には効果的な打撃を与えることが可能である。
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 本カメラは同時に登場したディマージュ7iに隠れて目立たない出発だったようだ。本カメラの登場からコニカと合併するまでの1年半の間、ミノルタは本格指向のディマージュ7シリーズ、屈曲光学系スリムボディのディマージュXシリーズ、本カメラが元祖となったオーソドックスなディマージュFシリーズの3本柱のみで戦闘を行った。資金的にも制限があり、ターゲットを絞る必要に迫られたのだろう。それはそれで間違いではない。ただ、ディマージュ7シリーズやディマージュXシリーズに比べるとディマージュFシリーズはイマイチ存在感が薄い。実際に使ってみると、レスポンスも良く、マルチモードAEを搭載した本格的撮影機能、単三型電池仕様の取り回しの良さ、高級感のあるプレミアムな外装と、実によくできたカメラだと思うのだが。もしかしたが、既にミノルタは戦闘継続能力に限界があり、3本柱の営業展開すら苦しかったのかもしれないな。
 本カメラのシリーズはディマージュF200、F300と三代続いている。しかし、コニカとの合併によるラインナップ統合で途絶えてしまった。以降、コニカミノルタのコアクラスはコニカのレビオKD−510Zの系列で発展していく。
 ミノルタの歴史をさかのぼると、いくつかの印象に残るモデルや機能が思いつくのだが、すなわち商売につながるのかと言うと、なかなか難しいようだ。いつぞやのペンギンが歌うビールのCMも、だれもがフレーズを覚える程に印象には残ったが、肝心のビールの売れ行きはイマイチだったようだ。宮崎美子さんの豊満なボディだって、速、ミノルタの一眼レフ購入につながったかは怪しいな。もっとも、X−7のジャンク(大抵はペンタプリズム腐食の大ジャンク)は頻繁に見えるのだから、ある程度は売れたのだが。
 単三電池仕様なので充電器や専用電池は不必要で、その気になればアルカリ電池とSDカードで撮影可能である。小気味よく撮影できるカメラなので、ジャンク駕籠に転がっていたら拾ってほしい。

 では、撮影結果(名古屋散歩編)を見て頂きたい。

(了:2012/2/24)

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