パナソニック ルミックス DMC−FX01について


DMCFX01
浜あゆのライカに28mmが付いた!!盆と正月!!

☆ジャンク度☆
レンズ前板に目立つ傷あり
不具合無し
撮影可能


DMCFX01 DMCFX01
 バリオエルマリート銘のレンズは28mmから始まるズームレンズ。
 無論、パナが熟成した手振れ補正機構が付く。
 GSXRにクロスミッション、F−14にフェニックスミサイルである(たとえが古いか?)。

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 2006年、既にルミックスブランドは不動の地位を築いていた。


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 スタイリングは既に完成している。
 当時としては薄型のボディ。

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 操作系は前モデルを踏襲し、撮影モードをボディ上部のダイヤルで操作し、階層メニューによる諸設定はセンター付き十字キー+コマンドボタンで行う。


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 インターフェイスデザインも全モデルを元にファインチェーンしている。


DMCFX01
 バッテリーの持ちは標準並み。


 21世紀も10年も経過した現在では、デジカメ戦域においてパナソニックは確固たる地位を確保している。しかし、パナソニックが市場において影響力を持ち始めたのは、21世紀になってからである。デジカメ史にパナソニック(正確には松下)の名が登場するのは比較的初期の頃で1997年である。ニコンがクールピクス100/300、キヤノンがパワーショット350で武力偵察を行っていたものの、本格的な戦略について模索していた頃だ。今は誰も知らないクールショットブランドを掲げていた。当時としては飛躍的にコンパクトで単三型電池2本で起動し、記録メディアにコンパクトフラッシュを採用した意欲的なモデルも送り出していた。当時のデジカメは100円ショップのソープケースじみた薄らデカい物で、内蔵メモリ専用機も普通に存在していたから魅力的だと思うのだが、地味な地位に甘んじている。その後も細々と妙なルックスや規格を持ったデジカメを送り出すのだが、なかなか橋頭堡を構築できずにいた。パナソニックのデジカメがそれなりに認知されるようになったのは2001年にルミックスを立ち上げてからだ。年末も迫ってきた10月にDMC−F7とDMC−LC5を送り出している。このうち、恐らくパナソニックが自信を持っていたのはDMC−LC5の方だろう。ライカとの提携でバリオズミクロン銘を引き出したレンズを搭載し、ルックスもM型ライカを髣髴させる凝ったモノだった。翌年には、やはりクラシックカメラのスタイリングをまとった廉価機のDMC−LC20が登場しており、パナソニックとしてはDMC−LC一桁代を高級機、DMC−LC二桁代を廉価機としてシリーズ化したかったのだろう。2004年には満を持してDMC−LC1を出している。時期的にはエプソンR−1Dと同期で、フィルムカメラの高級距離計連動機に慣れしたんだ連中が安心して金を捨てる器を狙ったのだと思われる。しかし、喜んだのはパブリシティ・広告屋と確定申告のできるプロぐらいで(それもメインの仕事に使うつもりは無かっただろう)、コンシューマの反応はイマイチだった。今やパナソニックとしてもDMC−LCシリーズは秋元のチェキッ娘のように無かったことになっている。一方でDMC−F7はジャンク駕籠の常連選手だから、それなりに売れたのだろう。当時としては金属係数の高いボディは魅力でもあるのだが、冷静に見ると峯とかエコーに似合うライターめいているし、控えめな200万画素級撮像素子で描く画像といい、それほどクレバーなカメラとは思えない。やはり効いたのはライカブランドのレンズと浜あゆの起用だろうな。
 もっとも、ルミックスブランドが戦略的な影響力を市場に発揮したの光学12倍ズームレンズを搭載したDMC−FZ1だ。ライカ判換算で35〜420mmF2.8の明るい超望遠ズームレンズは、フィルム時代には考えられない破壊力で、どうしてスチルカメラに後発と思われていたパナソニックがハイパースペックのカメラを開発できたのか、ベールに包まれたMig−25のように西側の常識では理解できなかった。ところが、次第に画質面での不満がネット上を走り始める。DMC−FZ1に真っ先に飛びついたのはガジェット好きの連中であったから、方々の掲示板で議論が白熱したようだ。秘密はライバルのオリンパスC−700UZシリーズに比べてかなり小さい撮像素子を搭載していたのだ。レンズもイメージサークルが小さくて済むからコンパクトにできるし、実際にC−730UZに比べると、画質的にはパワー不足の代物なのである。そんなことはビデオカメラで高倍率ズームレンズの豊富なノウハウを持つパナソニックにしてみれば易い仕事だ。ベレンコの亡命でMig−25がマッハ3クラスを実現するために、ソビエトの当時の技術レベル相応にニッケル鋼にアーク溶接で組み立てていたのが露見したようなものだ。真空管を使っているのが笑いものになっていたが、そもそもソビエトがMig−25の開発に着手したのは60年代初頭であり、大出力で信頼性の高い半導体は当時の米国でも難しかったことに注目しなければならない。それに本気で核攻撃を想定していたソビエトは電磁パルスによる半導体の破壊も考慮したのだろう。
 パナソニックとしても画質のいまいちな手振れ補正機構付き高倍率光学ズームレンズ機という評価に甘んじるのは不本意だったようで、最新型の主力戦車も撃破可能な画質のDMC−FZ10を投入するのだが、ベーシック〜スタンダードクラスを担う単三型電池仕様のDMC−LC二桁シリーズが不振なので、中核モデルが不在となった。そこで新たな軍事ドクトリンを元にパナソニックが描いたスタンダードクラスのモデルがDMC−FXシリーズである。コンセプトは常識的な焦点域のズームレンズと手ブレ補正機構の組み合わせである。初代のDMC−FX1/FX5はイモっぽいスタイリングで明確な商品イメージの方向性を示したとは言えなかったのだが、市場の評価はポジティブであったらしく、現在のヤードでもそこそこ見ることができる。パナソニックも、この方向は行けると思ったのであろう、後裔のDMC−FX2FX7ではグッとスタイリッシュになり、ガジェット好きの男性層もファッション感覚の女性層も好印象を持つようになった。多分、デザイン室が本気になったのだろう。ポリシーは以降のDMC−FXシリーズの起源になっている。手ブレ補正機構などは、ブレンビーで馳せたパナソニックにとっては易い技術である。浜アユを含めたキャライメージの作りこみが鼻持ちならないが、インターフェイスデザインもよく考えられており、AFの正確さやレスポンスも高く、やはり完成度の高さを感じる。時折、唸るような美しい絵を描くが、機種によって操作系がガラッと変わったり、やたらとプログラムAEのシャッター速度が遅くなったり、コンティニュアスAFは合焦しているのにレリーズボタンを押すとフォーカシングをやり直して、挙句にフォーカスを外す複数のクールピクスに比べると、家電屋と光学メーカーの凌ぎを削る度合いの違いを感じざるを得ない。
                             ☆                    ☆
 なんだかいつもに増して前置きが長くなってしまったが、前置きが長くなるというのは、それだけ本ネタが少ないのである。つまり、突っ込みどころのないよくできたカメラなのだ。常識的に見ると先行したDMC−FX9の後裔機に思えるが、パナソニックの公式アナウンスは異なるようで、ワザワザ「後裔機ではありませんでした」と訂正しているネットニュースもあるから、パナソニックからの横やりが入ったのだろう。末端の我々にはどうでもよい事だが、多分、担当部署が違うとかDMC−FX01の担当者が前任者の同僚だか先輩だかが気に入らないとか政治的な理由だろう。DMC−FXシリーズは完成度が高い反面、ルックスに共通点が多いのでDMC−FX9の次がDMC−FX01なのには注意が必要である。
 特徴は何と言っても広角側がライカ判換算で28mmに広がった。それでいて望遠側はDMC−FX9と同様の102mmで、ボディサイズは変わったように見えないから立派である。もっとも、望遠側がF5からF5.6へと暗くなったが、無論、手ブレ補正機構は進化しているだろうし、これが原因で撮影できるはずの画像が撮影できなかったという方がいても信じられない。更に感度がISO400止まりからISO1600まで広がったのだから鬼に金棒、ガンダムにGパーツである。但し、ISO800以上の高感度はシーンモードの一つである「高感度モード」でしか使えないのが残念である。階層メニュー下のシーンモードなど、めんどくさくて使いたくない拙僧のようなニーズはあると思うのだが。多分、通常撮影モードで増感できるようにすると、「高感度でノイジーなのが残念である。可能な限り低感度で画質を優先してほしい。」などと鬼の首でも取ったように書きたれるライターさん達に上げ足を取られたくなかったのであろう。案外、ああいう毎度おなじみのフレーズを重要視する方もいらっしゃるのだから仕方なしだろうが、別に我々は晴天下でワザワザISO1600モードで日本丸なんて撮影しないのだから、手ブレ・被写体ブレしないで写っていた方が良い。当時のデジカメは広角側がライカ判換算で35〜38mmが普通である。なにもデジカメに限らず、フィルム時代のコンパクトカメラも大抵の場合は同様であった。ペンタックスなどは熱心で24mmから始まるコンパクトカメラもあった。なんでも営業的には望遠側を伸ばした方が有利だそうで、末期には180mmF13なんていう竹の子のように伸びるズームレンズを搭載した機種もあった。なのでフィルムメーカーもズームレンズ用と冠したISO800フィルムを景気よく売っていた。なんだか、オイルショック前の垂れ流すようにガソリンを消費する北米車と通じるものが有る。本カメラが登場時にも28mmから始まるズームレンズを搭載したデジカメは有ったが、やはりパワーユーザーと言うか、画角や画質の為には携帯性を犠牲にしても構わない連中向けとされて、本カメラに比べるとかなり大柄だった。本カメラはスリムタイプのデジカメとしては広角ズームのパイオニアと言える。スリムスタイルと言われると抵抗があるかもしれないが、当時としては軽量・スリムなのだ。2011年現在の主なコンパクトデジカメも、この位の大きさになっているから、デジカメのスタイリングが完成に至ったと言えるだろう。もっとも、レンズは24mmから始まる光学10倍ズームレンズとか、とんでもなく進化しているが。
 撮像素子は600万画素級で近代の戦闘にも耐えるだろう。起動も早く、AFも正確である。但し、すれ違いざまに若い娘さんをキャンディット撮影できるほどではない。本カメラと正統な後裔機であるルミックスDMC−FX70と同時に運用したのだが、画素数の差は撮影画像の局部をPC上で拡大鑑賞したい方以外は大した問題にならない。しかし、レスポンスは明らかに世代の差がある。技術の進歩は確たるものが有るな。もっとも、液晶ビュワーによるフレーミングからレリーズ後の記録に至るまでのデュレイは最新型の一眼デジカメでも無視できない。その点、光学ファインダーを搭載した一眼レフデジカメがリードしているが、オリンパスやパナ、ソニーのデジ一眼が好調で、ニコンですら一眼デジカメに参入するそうだから、反応速度よりも軽量・コンパクトがコンシューマのニーズなのだろう。
 液晶ビュワーも世代の割には見やすい物である。同世代の標準クラスのIXYデジタルよりいい部品を使っているように思う。頭越しに撮影する場合に便利な表示モードがあるそうなのだが、そんなものを搭載していると拙僧は知らなかったから、使わないうちに処分してしまった。人ごみの壁越しの撮影はイベントなどで効果的である。テーブルの上では中々出てこない発想だと思うのだが、設計者が実際に撮影しているかユーザ側のニーズをくみ取る仕組みがメーカー側にあるのだろう。家電の覇者であるパナソニックのノウハウの厚さが光るところだ。
 追記しなければならないは、DMC−FX一桁モデルでは多数みかける液晶ビュワーのバックライト不良は本カメラ以降では見られない。あのフレキ基盤を90度折り曲げた組み付けを止めたのであろう。本カメラ以降のDMC−FXシリーズには、物理的な衝撃を原因とする破損や故障以外のトラブルは殆ど見受けないから、信頼性を高める工夫があるのだろう。同世代の500〜600万画素級デジカメだと、CCD不良やAE・絞り機構に問題のあるジャンク個体が結構あるから、大したものである。この頃の(今も?)コンパクトデジカメの撮像素子はソニー・シャープ・パナソニックが大手供給メーカーだったそうなのだが、パナソニックの信頼性が一歩リードしている気がする。バッテリーもかなり持つようになったし、パナソニックの覇権も浜アユとライカブランドのイメージ戦略だけではなく、物としての出来の良さが支えているのであろう。ニコンもキムタクを起用して以降、飛躍的に使いやすく安定的になった。
                             ☆                    ☆
 繰り返えすとDMC−FXは本カメラを起源とする二桁シリーズで見えないところまで完成度を高めている。もしかしたら、件のDMC−FX9の後裔機と言う見方を強く否定したのも、「あんな物と比べないでほしい」というプロジェクト担当者の維持が有るのかもしれない。
 ソニーの確信的な技術を先行投入し、市場で実験を行ってフィードバックする戦略に対し、パナソニックはパイオニアにはならないものの、ニーズをキャッチすれば迅速に供給する開発力がある。そこが、「5万円のお客様は、こんなもんでいいでしょ」と賢い大人のそろばんが聞こえてくるような気がするのは拙僧のような矮小の者だからなのだろうか。
 よく写るんだが、予想外の夢を見させてくれないのが難点なのか長所なのか。

 では、撮影結果を見て頂きたい。

(了:2011/10/13)

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