オリンパス C−2100UZについて


C2100
キヤノン製手ブレ補正機構付き光学10倍ズームレンズを搭載した意欲作。

☆ジャンク度☆
不具合無し
撮影可能


C2100 C2100
 オリンパスお得意のL型ボディ。

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 この、オデコの平たいリーゼントスタイルは、幾つかのオリンパスデジカメが踏襲している。

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 基本的な操作系はC−2000/3000シリーズを踏襲している。


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 EVFの見え具合はそれなりのものだ。

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 背面の液晶ビュワーは撮影時にも使用できる。
 血脈の元になっているC−2500では、液晶ビュワーは再生にしか使えなかった。

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 電源は単三型電池4本。記録媒体はスマートメディア。

 デジカメが35万画素級だった黎明期からオリンパスは参戦している。今や忘れかけられているが、100〜300万画素級時代はオリンパスの第一次黄金時代だった。勝因は幾つかあるが、一つはフィルムカメラ時代の使い勝手をデジカメでも有効に活用したことであろう。伝統的な光学機器メーカーですら、デジカメとなると奇をてらったスタイリングに傾倒しがちだった。C−860Lなんてのも、それほどパッとしたカメラではなかったが、一応スライド式レンズバリアがオリンパス伝統のXAシリーズやμシリーズを髣髴させ、フィルム時代のウルサガタを安心させた。光学ズームレンズを搭載したC−900シリーズでは、フィルムコンパクトカメラを一層髣髴するものとなり、ヒット作になっている。もう一つは、それなりに画質にこだわっていた。同時期のライバル達には、デジタル時代に親和的な使い勝手を模索する一方、肝心の画質は次かその次という物も少なくなかった。カメラとしての出来と使い勝手からすれば、オリンパスのキャメディアC−2000/3000シリーズは、一つの成功と言っていいだろう。
 本カメラは2000年8月に登場した200万画素級撮像素子に光学10倍ズームレンズを組み合わせたデジカメである。同時期のライバルに、光学6倍ズームレンズを搭載したフジフィルムのファインピクス4900Zや光学8倍ズームレンズを搭載したカシオのQV−2800UXが存在したが、手ブレ補正機構を搭載したのは本カメラとソニーのMVC−CD1000くらいだろう。MVC−CD100はCD−Rに撮影画像を直接書き込むちょっと毛色の違うモデルだから、同じ土俵のライバルとは言えないかもしれないな。フィルムカメラ時代にAF一眼レフの分野で他社に先行された反省があるのか、オリンパスはデジカメの一眼レフ化を割と早い段階から試みていた。もっとも、現在のようにレンズ交換式デジタル一眼レフを容易に量産廉価化できる時代ではなかったから、オリンパスの得意分野であるレンズ一体型一眼レフから事を初めている。最初の試みは1997年に登場したC−1000/1400Lである。前者は85万画素級、後者は当時としては相当に奢った140万画素級の撮像素子を搭載していた。フジフィルムもソニーもニコンもスタンダードモデルが35万画素級の時代だったから画期的な美しい画像を撮影するとされていた。しかも、渇望されていた一眼レフである。実は、C−1000/1400Lは一眼レフとはいっても、ハーフミラーを固定したもので、露光のたびにミラーが退避する我々が普通に思うような一眼レフとはことなり、また、そのファインダーも明るく見えることに重きを置いていたが、決してそれでフォーカシングを行う物ではなかった。それでも、被写体が一眼レフファインダーに映ることは大いに評価された。C−1400Lは翌年にマイナーチェンジを行ってC−1400XLになる。実はC−1400Lは8MBまでのスマートメディアにしか対応していないので、折角の高画素数の撮像素子を活かすには制限があった。C−1400XLに至って、大容量(当時)のスマートメディアに対応し、バッファを搭載することによって、撮影間隔を飛躍的に短くし、連続撮影を可能とした。
 次のオリンパスの一眼レフデジカメが1999年に登場したC−2500Lである。C−1400系ボディがオリンパスの伝統のL字型スタイリングを踏襲しながら、どちらかというと豊満なフグのような外観だったのに対し、ボディラインを直線基調にしてスリムに精悍になった。これもまた、当時としては大面積の250万画素級撮像素子を搭載した意欲モデルとされたが、割と画像の歩留まりが悪かったのと、実際に手に取るとカメラとしての品質感がイマイチだったので、あまり成功しなかったようだ。拙僧も持っていたのだが、あまり印象にない。しかし、本カメラのスタイリングは後の高倍率ズームレンズ搭載機に影響を与えている。
 本カメラはC−2500Lのスタイリングを踏襲しているものの、先に紹介したとおり手振れ補正機構付き光学10倍ズームレンズを搭載したものだ。C−2500Lの記憶が新しく、本カメラも一眼レフカメラだと思われたが、実際にはファインダーはEVFである。また、C−2500Lでは250万画素級であったのに対し、撮像素子は211万画素級とスペックが後退していると称された。しかし、どちらかというと、本カメラはC−2500Lの後裔機と言うよりもC−2000シリーズのボディに光学10倍ズームレンズを組み合わせたものと言えよう。再生時にしか液晶ビュワーが使用できず、撮影時は光学ファインダーしか使えなかったC−2500Lに比べて、使い勝手も明らかにC−2000を踏襲している。このスタイリングは、後に高倍率ズームレンズに超高速連射を組み合わせたE−100RSが引き継いでいる。
 手振れ補正機構付き光学10倍ズームレンズは当時のガジェット雀を相当賑わしたようだ。それはそうである。ライカ判換算で38〜380mmF2.8〜3.5の高倍率ズームレンズに手振れ補正機構を組み合わせるなどということは、フィルム時代の撮影者にしてみれば夢のようだ。逆に言うと、ムービーカメラのパワーユーザーからすれば「やっとかよ」という感じであろうか。これは伝説的な話なのだが、実はこの手振れ補正機構付き光学10倍ズームレンズはキヤノン製である。カシオのような電子機器メーカーがレンズを他社から調達するのは何の不思議もないが、れっきとした老舗の光学機器メーカーであるオリンパスがライバルたるキヤノからレンズの供給を受けるというのは、現在の視点からすると妙な感じである。これは多分なのだが、キヤノンはデジカメ市場への侵透戦略が他の伝統的光学機器メーカーに比べて遅れていた感がある。遅れていたという表現が間違っているとしたら、マニフェストが不明瞭で不十分だった。勿論、デジカメ史の黎明期からキヤノンはデジタルカメラを送り出しているが、どれも、巨人のキヤノンが本気を出したカメラとは思えない。キヤノンがデジカメ市場に本気を出したのは恐らく2000年からである。この年、IXYデジタル(初代)、パワーショットG1、EOS30Dという3軸の戦略モデルを出している。キヤノンとしてはデジカメに振り分けるべき生産ラインが、たまたま空いていたのでオリンパスに貸してやったのではないだろうか。ちなみに、初のコンシューマー向け300万画素級デジカメの地位をキヤノンのパワーショットS20と争っているカシオのQV−3000もレンズはキヤノン製だ。もっとも、このレンズはパワーショットG1と共通なのではという説もある。
                 ☆              ☆
 そろそろ使い勝手の記述に移らなければなのだけれども、実をいうと拙僧は既にこのカメラは手放してしまったんですよ。コンテンツを書いてから手放したつもりだったのだが、中途半端な記述で止まっていたのを継続しているのである。なので、記憶が少々あいまいなのはご了承していただきたい。
 かなり大柄なボディだが、ライカ判換算で380mmの超望遠レンズが付いていると思えば、この位のボディマスがあったほうが使い勝手は良いだろう。実際には見た目よりもかなり軽い。オリンパスL−3に比べたら羽が生えているようなものだ。発売当初は定価ベースで13.8万円という極めて高価なカメラだったが、1.5〜2年後には4万円台まで落ち着いたようだ。本カメラのフォロワーの方々のコンテンツは多いが、大抵の方は安くなってから購入している。E−100RSもそうだが、当時のオリンパスは値崩れの幅が大きかった。勿論、2年もしたらデジカメの価値は半額になっても不思議ではないが、いかにも最初の値付けが高すぎる。多分、オリンパスもこれに懲りて、廉価ボディに手ブレ補正機構非搭載の光学10倍ズームレンズを組み合わせたキャメディアC−700UZを送り出している。これは、ガジェット好きからは忌み嫌われたが、お父さんが運動会用のカメラとして購入できる金額には限りがあるのだ。そもそも、運動会のような屋外で晴天が想定されるようなシーンでは、手ブレ補正など無くても大した問題は無い。むしろ、感度を積極的に上げて、被写体の動きを止めてもらった方がありがたいな。本カメラのレスポンスを良く覚えていないのだが、屋内の大相撲でも、それなりに安定的に写っているので当時としては良好だったのではないだろうか。恐らく、運動会でもそこそこ実用になるだろう。少なくてもパワーショットプロ90ISは明らかに使い物にならなかったので強く印象に残っている。
 操作系はオーソドックスな物で、特別に気にするポイントは無い。電源ON時に背面の液晶ビュワーが非表示なのが現在の視点ではダルである。当時のオリンパスは大抵の場合、それがデフォルトであり、オプションで起動時の表示を切り替えることもできない。EVFの印象は良く残っていないのだが、MFで精密なピントを確認できるレベルではなかっただろう。それでも、手ブレ補正機構を搭載しているとはいえ、室内撮影ではEVFを覗きながらボディを額に押し付けるようなホールドが有効だから、EVFを多用したはずだ。大して不満に思わなかったのだから、標準的な代物だったのだろう。
 運用上ネックになるのが、やはりスマートメディアだ。C−2500LもE−100RSもコンパクトフラッシュを併用できたのに、本カメラはスマートメディアにしか対応していない。フジフィルムも気合の入ったモデル、例えばファインピクスS605あたりはちゃんとコンパクトフラッシュを併用しているのに。オリンパスもフジフィルムもスマートメディアからxDピクチャーカードに移行してからも、記録媒体で足を引っ張られるのだが、東芝に嫌な秘密でも握られていたのだろうか。いや、東芝のデジカメだってSDカードだったなあ。
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 コンパクトカメラと高倍率ズームレンズの組み合わせに十分なニーズがあると分かった。しかし、本カメラはあまりにも高すぎた。なので、オリンパスは手振れ補正機構を捨てて、キャメディアC−700シリーズをデザインし、成功した。ガジェット好きからするとツマラナイ話で評価は低い。しかし、手ブレ補正機構付き高倍率ズームレンズを廉価ボディで実現したルミックスDMC−FZ1は、メカライターやメカライターのフォロワーが何といおうと画質的にはイマイチだった。パナソニックだって、初めから画質で勝負したわけではない。大陸でトヨタRAV4の評価が低いのだが、あれはせいぜい舗装化したスキー場へのアクセス程度の走行性能を満たした物で、新疆の瓦礫砂漠を本気で走らせたら壊れてしまうわなあ。
 本カメラの登場から半年後、同じレンズを採用したキヤノン本家のパワーショットプロ90ISが登場するのだが、これは全く使い物にならないカメラとなった。その件は何れ報告したい。

   では、撮影結果(蓮編)を見ていただきたい。

(了:2013/5/24)

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