パナソニック クールショットU LK−RQ1について


COOLSHOT_LK-RQ1
パナソニックが松下時代に発売した意欲的な小型モデル。

☆ジャンク度☆
無し
撮影可能


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 電源ONで内蔵カバーが受光素子を覆う。

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 当時としては意欲的な薄くコンパクトなボディ。

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 スライドスイッチとボタンで構成されるインターフェース。
 まだ、コマンドダイヤルは搭載されていない。

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 当時このサイズで液晶ビュワー付きで交換メディアは立派。

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 電源は単三型電池2本。CF採用。



 現在はミラーレス一眼やカメラ携帯でハイアマチュアからカメラ女子まで厚いファン層を持つパナソニック(というか松下グループ)だが、その昔は残念な少年時代という時期があった。その後に浜アユとの出会いから恋愛に目覚めて人から羨ましく思われるような慶応ボーイになったのはご存じの通りである。パナソニックにすれば、激しくモテなかった声優系アイドル好きの頃の話は忘れてほしいという思いだろう。
 パナソニックがデジカメ市場にデヴューしたのは1997年3月に登場したカードショットであるとされる。無論、35万画素時代のものだったが、可変アングル液晶ビュワーに交換式メディアとしてコンパクトフラッシュに対応する意欲的なモデルだった。スペック的にはNECのピコナに似ている。もっとも、単三型電池2本を使用するピコナに対しカードショットは単三電池3本を使用した。何とも中途半端な気がするが、電池消耗にシビアなピコナに比べるとややましなので大英断かもしれない。カードショットには全く同じのコンポーネンツの兄弟機としてキヤノンのパワーショット350とコニカのQ−miniが存在する。どうも作っていたのはパナソニックのようだ。新規に未開拓のデジカメという分野に参入するには資本的にも厳しかったからなのだろうか。これらのように全く同一或いはコンポーネンツを共有する手法は後裔のモデルでも見受けられた。実際のところパナソニックブランドのものだって、モデルによって九州松下製で他のモデルは松下寿製だとかよくわからない。松下グループが一体となって登場というわけでは無いようだ。
 パナソニックが自社グループのデジカメブランドをクールショットと命名してからも混乱は続いた。初代クールショットはライフルのグリップのような形で液晶ビュワーが存在しなかった。それは時代的に液晶ビュワーを未搭載のデジカメは珍しくないので問題ないが、後裔機と思われるクールショットUはぐっとコンパクトでカメラ然としたルックスに変更されている。外観的には初代クールショットとクールショットUには何の共通点も無い。しかも単三電池2本使用で液晶ビュワー付きと中々たいした仕様であった。欠点は画像を内蔵メモリに記録することで、外部メモリが使用できなかった。初代クールショットでは外部メモリが使用できたのに妙であるが。その辺りはパナソニックも承知だったようで外部メモリとしてコンパクトフラッシュを採用した新クールショットUが登場している。それが本カメラだ。「クールショットU」に対して「新クールショットU」とはスタートレックの様だがいかにもネーミングに対する情熱が感じられない。それにしても、まだまだ、液晶ビュワー無しのソープケースじみたデジカメが平気な顔をして流通していたころだから、単三電池2本使用で小型ながらも交換メディアと液晶ビュワーを採用した本カメラのクレバーさは光ったのではと思われるのだが、不思議と評判はあまり聞かない。しかし、完成度の高いデジカメだったのは間違いがない。フラッシュは内蔵していないが、オリンパスXAのような別体の脱着式のフラッシュが存在したようだ。その後、外観を踏襲したメガピクセルの「クールショットU mega」が登場する。
                 ☆              ☆
 実際に撮影してみよう。電源はボディ上部の「OFF」をセンターにしたスライドスイッチを「REC」にスライドさせると撮影モードになる。反対の「PLAY」にスライドさせれば再生モードだ。電源ボタン+コマンドダイヤルの組み合わせに比べると煩雑だが、このような操作系のカメラは300万画素級時代にまで存在した。レンズは最前面がプロテクターになっているらしく平面であり、奥のレンズ本体にカバーを内蔵しており、電源ONと同時にカバーが開く。レンズ本体は時代らしくビーズ玉のように小さい。レンズはライカ判換算で55mm相当のF3.8でマクロモード付き。マクロモードの撮影距離は残念ながら不明である。
 液晶ビュワーはかくかくするが、感覚的にはピコナほど違和感を感じない。晴天下の屋外で見えづらくなるが、そこは光学ファインダーで補うことができるだろう。ピコナよりましとはいえ、電池消耗は激しいから液晶ビュワーを消した撮影も考えられる。再生時にはそれなりにサムネイル表示をしたりと可愛らしさを感じるものだ。
                  ☆              ☆
 35万画素級が当たり前だった当時、秀作と言えばフジフィルムのCLIP−IT DS−20だったのだから本カメラのコンパクトでオーソドックスなカメラ然としたスタイルは魅力的だっただろう。前述の通り、パナソニックのデジカメはメインストリートというよりは子会社路線でぽつぽつと発売されたようだ。スーパーディスク仕様の際物モデルや他社へ供給で食いつないでいた記録がそこかしこに見受けられる。ご存じの通り、ライカレンズと浜アユと組み合わせたルミックスDMC−F7でブレイクするのだが、地味な金満息子の田舎バンドが親の縁でかわいいボーカルと組んでメジャーデビューしたようで、デジ時代にはふさわしいサクセスの形であるだろう。

   では、撮影結果を見ていただきたい。

(了:2010/12/22)

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